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性的虐待‥性虐待はなぜ起きる

私は実父親に幼稚園から中学2年まで性虐待を受けて育ちました。一見普通に見える家庭内で起こった犯罪。私の家庭で何が起こっていたのかを冷静に振り返りこれからの子供達を性的虐待から守ることが出来るのか、不幸にも私と同じ様な体験をしてしまった人達には何が必要かを考えて行きたいと思います

ブログに訪れた方はまずこちらをご覧下さい。

30年間理解なかった母親が理解ある母親になるのに必要だった事③

母親

前回のブログの続きです。

 

私が父親に受けた性虐待から後の30年間と母親が過ごして来た30年間はあまりにも考えの温度差があり私は困惑しました。母親に理解してもらう事はもう私には不可能な作業の様に感じました。母親にとっての30年は性虐待などうちの家には無かったかの様になっていました。

  (私の受けた性虐待は 性虐待① 性虐待② 性虐待③ に詳しく買いてます。リアルな内容もありますのでフラッシュバックに気をつけて下さい)

 

性虐待を理解してもらうのには先ずは母の中にある父親(夫)に対する洗脳ともいえる支配からのコントロール共依存、母親にとって父は常に正しく夫を敬い尽くし生きていくのが私の存在価値だと信じている生き方考え方を変える事から始めなくてはいけないと思いました。まさに男尊女卑社会を一つの家庭の中で実行してました。女性は口答えしない事が美しい姿だと思っていたところもあったのだとおもいます。私にも父親への口答えは一切許されませんでした。(今思うと口答えと言うより意見だったと思いますが父親の考えと違う考えを持つ事自体がご法度  笑)

 

近所の主婦友達が旦那さんの悪口を言うのを聞くことがあっても母親は一切父親の悪口を言う事はありませんでした。(悪口を言わない事はもちろん良い事ですが、現実、家庭内は理不尽な事から暴力が頻繁にあった訳ですから)

 

結婚してから47年間のパワハラからの洗脳を解くすべなど私には解らずもう諦めた方がこれ以上、母親の理解ない言動に傷つけられる事もなく心穏やかに生きていられる様に思いました。これから先の人生は親の存在を忘れ住所も告げずに引っ越しをしようと決めました。(今は実家の隣に住んでいます)

 

そう決めてもやはり諦めたく無い自分もいました。本当に不幸体質なんでしょうね。母親から傷つく言葉をどれだけ聞かされることとなるのか分からないけど今回こそは、母親の洗脳を解いてあげたい!!

 

私は子供の頃からずっと母親は可哀想な人だと思っていました。怒鳴られても叩かれてもどんなに家事を頑張っても褒められる事は無く母親は何が楽しく生きているのだろうと一緒に住んでいた18歳までずっと思っていました。

 

私は小さな頃、母親を今の生活から助け出したい。自由にさせてあげたい。私の大好きなお母さんを毎日笑顔にさせてあげたいと漠然と思っていました。精一杯おどけて見たりして笑わせたりサプライズ的に喜ばせる事もあれこれ考えたことをうっすら覚えています。(楽しかった思い出はほとんど思い出せません。子供の頃の記憶は親から受けた嫌な事がほとんどです。楽しかった事もたくさんあったはずなのに・・・)

 

そんな母親に対する優しい気持ちも父親からの性虐待を母親に打ち明けた中学2年、母親は私の味方になってくれなかった瞬間、瞬間冷凍されてしまいました。14歳〜16歳位まで私は積み木崩しのごとく反抗的になり少しの事で切れて叫びまくってました。(心優しいゆかりちゃんはホントいなくなりました。こんなに急激猛スピードで反抗的になった私に周りの大人は怒るばかりで一人も理由を聞いてくれなかったな〜先生も)

 

母親に残された人生は後二十年か三十年かわかりませんが、正しい道を自分の足で歩み生きて欲しい。それに気づかせてあげられるのは私しか居ないと思いました。

 

その頃の母親は週末は自分の家で過ごし平日は徳島の実家に帰り自身のお兄さん(私の叔父)と祖母の自宅介護をしていました。母親は自分の足も悪くしていて膝が痛いと言いながらも自宅介護を初めて一年間、先日祖母が亡くなるまで一度も辛いなどと愚痴を言うことはありませんでした。本当に優しく我慢強い母親なんです。なのに父親の罪を認める事が出来ず正面から向き合えない、父親を否定する事は自分の結婚生活47年全てを否定する事になるのでしょう。

 

母親に父親の性虐待がどんなものだったかを知ってもらい理解してもらう事は母親を苦しめ悲しい思いをさせてしまう事になるのかこのまま父親に尽くしながら命終わるまで過去に向き合わず生涯を終える事の方が母親にとっては幸せでは無いのかという葛藤も強くありましたが私自身大好きな母親に目を覚まして欲しい願いから私は母親にメールをしました。

 

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私 「今日徳島に行くので叔父さんと一緒に私の話を聞いて欲しい」
母 「 今は介護で大変なのでちょっと待って欲しい」

私    「いや、今だから聞いて欲しい。私、行くから」

 

と半ば強引に祖母の家に向かいました。

 

今までの様に過去に蓋をして仲の良い親子を演じるよりも叔父さんにも聞いてもらう事で母親も私自身も過去から逃げられない、母と一緒にこれから先、傷つけ合う事になってもそれでも母親に理解してもらう努力を諦めない!と決意しました。

 

九時近かったでしょうか、祖母はもう寝ていました。祖母の寝ている隣の部屋の食卓に叔父、母、私と座り子供の頃からの事を私は話、今後私は実名を出して児童性的被害者を守りこれ以上被害者を出さない活動に携わりたい。と言いました。今日、私が来る目的を母親から叔父さんに話してくれていたので叔父さんは私の話を冷静に聞いてくれました。

その都度、母親に「なんで気が付かんのか!それは、いつもそばにいた母親が気付いてあげるべきことだ。お前が悪い!」と言ってくれました。母親は、「実名を出して受けて来た事を公表するのは待って欲しい。今はお父さんは自治会の方で責任がある事をしているからそれが終わるまで待って欲しい。じゃないとみんなに迷惑をかけてしまう。そちらが片付いたらお父さんときちんと話するから」と言いましたが、この事にも叔父さんは「そんな事は今回のゆかりの話とは別の事で待ってくれと言うことではない!」とはっきり言ってくれました。叔父さんは細かいところまで説明しなくても私の気持ちを汲み取りながら話を聞いてくれました。

 

本当に嬉しかったな〜

 

私の事、理解してくれる人がいる。

 

中立の立場で話をしてくれる。話をして良かったと心底思いました。

 

私は「遅い時間までおじゃましました。おばあちゃんの介護で大変な時にこんな話を聞いてくれありがとうございます」と徳島のおばあちゃんの家を後にしました。

 

伯父とは特別、交流が深いわけでもなく今まで年に数回かのペースで会うぐらいです。なのに全然母親よりも話をわかってくれる。なんなんだろう、この違い。

 

母は何度も私に言います。「お父さんがあなたにした事はいけない事だけど良いところも他に沢山ある」

 

その度に私は悲しい気持ちになります。

 

良いことをしていれば悪い事に対しての刑が軽くなるの?

 

だとしても被害を受けた者から見ればそんな事は関係ありません。

 

ただ有るのは受けた被害の事への心の傷です。

 

 

この犯罪をあなたは加害者の奥さんの立場で見ていて被害者の母親からの立場で見ようとしてくれて無い。赤の他人が自分の娘を何度も言いくるめてレイプしていたら相手にも良いところがたくさん有るなど思うだろうか?

良いところがあったとして思うのは勝手だが私には言葉にして言わないで欲しい。遠回しに良い人なんだから許してあげてと言われている様で辛い。これって私の被害者意識が強すぎなのかな・・・

 

すいません、タイトルとズレ愚痴っぽくなりました:(;゙゚'ω゚'):

 

 

次のブログに続きます。

 

 

こんなつたない文章をたくさんの方に見ていただき申し訳なく思いながら感謝の気持ちでいっぱいです。

ありがとうございます。

色々な方に家庭で起こった児童性虐待が知ってもらいたい。

もっと今まで本をたくさん読んで上手く気持ちを伝られる様勉強しておけば良かったと思います。まさかこんな日が来るとは思いませんでした。私自身、死ぬまで誰にも話を出来る事ではないと思ってました。

もし私と同じ境遇の方も見ていただいてましたら一緒に胸を張って生きて行きましょうね。と伝えたいです。