性的虐待‥性虐待はなぜ起きる

私は実父親に幼稚園から中学2年まで性虐待を受けて育ちました。一見普通に見える家庭内で起こった犯罪。私の家庭で何が起こっていたのかを冷静に振り返りこれからの子供達を性的虐待から守ることが出来るのか、不幸にも私と同じ様な体験をしてしまった人達には何が必要かを考えて行きたいと思います

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虐待の残す傷

私は幼稚園から中学ニ年まで実の父親から性虐待をうけていました。

 

幼稚園の頃は局部を触られることにくすぐったいから嫌だと思うだけでそれがどんな意味のあることがわからずにいました。本当の意味を知ったのは中学ニ年の頃でその時にはすでに最後の一線も越えていました。私の初めての相手は父親でした。

 

みんなしていることだと父親から言われていたこといつも怖い父親がその時はやさしいことからこれで良いのだと思っていました。

 

嫌だけど、しつけだといつも怒鳴られ頭をバシバシ叩かれたりしていたのでこのこともそれの延長くらいに思っていました。父親のすること、言うことは絶対の支配下で育った私は仕方ないことだと思っていました。友達は父親のことが嫌いじゃなさそうなので私も嫌ってはいけないと思って少しでも好きになれるように努力しました。

 

母親に父親のことが好きじゃ無いと何度も言いましたが「誰のおかげで学校に通えたりご飯を食べれたりしてると思ってるの?ちゃんとお父さんに感謝しなさい」と私がいつも悪者でした。

 

虐待が行われていた最中も「お父さん、好き」と言わされていました。嫌々ながらでも私の身体は少しづつ受け入れるように成長していきました。その当時、父親はすごく満足そうで幸せそうでした。父親を喜ばすことが出来ていることに私も幸せに感じたことも正直ありました。感謝の気持ちをこのことで伝え見返りに愛を与えられているような気持ちだったと思います。

 

今思うと当時の自分があまりにも健気で可哀想で涙が溢れますT^T

 

父親からの幼い頃からの性虐待の裏にはこんな捻じ曲がった感情が存在します。だから余計に事の真相を知った時、自分を嫌い蔑むようになります。受け入れていた自分を殺したいと思います。当時は情報がなく、自殺は刃物で刺すか首吊りか飛び降り、線路に飛び込むくらいしか思いつきませんでした。一番痛くなさそうなのは飛び降りなのかと思ってみたり。リストカットをしてみても静脈を切れない。どれも私には恐ろしく行動する勇気が有りませんでした。。

 

幸せになることも許されないように思いました。こんな汚れた私を好きになってくれる人なんかいる訳がないから結婚も出来ない、こんな汚れたからだで妊娠してしまっては赤ちゃんが汚れてしまうから自分の子供も持つことが出来ないそんな未来が全て奪われた失望感でいっぱいになりました。

 

三十年経った今でも「生きたいか?死にたいか?」と質問されると安楽死が出来るのなら『死』を選ぶかも。死ぬ覚悟で逃げなかった自分を未だに心の何処かで責め続けてます。どんなに幼いころの自分に「あなたは悪く無かったのよ。逃げなかったんじゃなく、逃げられなかったのよ」と言っては見るものの・・・

 

今現在は幸せなはずなのになぁ・・・

 

 

 加害者の父親はというとずっと俺様は変わらずですし、私には一度、二十歳の頃、謝罪の手紙を母親伝いでくれましたがその内容は薄っぺらくその後は何もありません。それどころか、私の娘が小学生の頃、「オジィちゃんにお腹の辺りを寝ている時さわららた」と私に言って来ました。娘も何かおかしいと感じたから私に言って来たのだと思います。反省するどころか、また私の娘にもあわよくばと思ってしまったみたいです。

 

そんな一面の裏に社会の為にとボランティアでいろんな市のことに首を突っ込んで活動したりしてみたりお寺を立て直すと聞いたら大金を寄付してみたりと人の為になることもします。

呆れるほど本当に内弁慶で弱い人間です。

 

同意の上だから仕方なかったと思い混み正当化しているのだと思います。自分も伯母さんからそんなことをされていたと言っていたので、血縁者どうしの関係は特別な事ではないと本気で思っているのかも。

 

 

 加害者と被害者の気持ちには大きなズレがあります。それがまた後々まで被害者を傷つける。常に親という立場でこの人には死ぬまで私を傷つけつづけるのだと思うとお願いだから早く死んでと思ってしまいます。

 

私は離婚してからも姓を戻していません。それを数年前に父親から、「別れた夫に未練があって戻さないのか?もうそろそろ戻してくれ」と頼まれました。私は一人娘なので、普通の親ならそう願うでしょうし、普通の娘なら子供達ももう大人なのだから話をして戻した方が良いと思うでしょう。でも私は「あんたと同じ姓になりたくないから戻さんのよ!」と言いたかった。どうしてそんなことも分からずに平気で姓を戻せと言えるのか気が知れません。親を傷つけたくないから笑って「またボチボチに考えるね」とか返事をしてしまいます。

 

私は京都のとあるお寺のお坊さんに相談に行ったことがあります。自分の受けてきたことを話、私は一人娘なのに姓を戻すことが出来ない。これは間違ったことなのか。親不孝ものなのか。戻さないことで子供達に悪い影響は無いのかとか。尋ねました。お坊さんは一言「戻す必要はない」とおっしゃいました。あなたはあなたの考えで今後も進んで生きなさい、自分が頑張ろうと思うことに全力を尽くしなさい。と背中を押してくれました。嬉しかったです。私は堂々と生きていいのだと生きることを許された気持ちになりました。

 

自分にとっては些細なことでも被害者にとっては深く傷つくことがそこら中に有ります。

被害者の心は地雷だらけで、心の中で何発も爆発させられ血まみれになりながらも周りに見せないように歯を食いしばり痛みに耐え続けて、また治りかけてきたら次の地雷を踏まれて。誰かに地雷の撤去作業を手伝って欲しい(あまりにも地雷の数が多すぎて自分一人じゃ何年かかっても取り除き切るのは無理だょーー)

 

でも人間とは凄いものでどんなに辛く忘れられない出来事でも少しづつ少しづつ記憶が薄れていきます。毎日思い出していたことが二日に一度になり、三日に一度になり一週間に一度になり、思い出した時の心の痛みも少しづつ少しづつ薄れて行きます。

 

今、現在苦しみの中で死にたいと願う方が、このブログを読んでいるのであれば信じて下さい。間違いなく今日の自分より一ヶ月後の自分、一ヶ月後の自分より一年後の自分、一年後の自分より五年後の自分と悲しみが薄れて行き楽いことも感じられるようになっていきます。

 

だから生きて下さい。死なないで下さい。お願いしますね。あなたは一人ではありません。かと言っても忘れることは出来ませんでしたが、幸せを感じられることも出来るようになっていきます。

 

私は一生懸命、母親に言われていたこともあり父親を許す努力をしました。三十年経って身体的虐待、心理的虐待については親もどう子供に接したら良いのか分からなかったのだろうとある程度は許すことが出来ましたが、性的虐待に関してはそれはどうしても理解することが出来ず、許すことできません。許さなければと思うことで余計に苦しみました。最近まで笑顔で父親と接してきました。長い間、自分の気持ちに嘘をつき素直な娘を装ってきましたが、作り笑いがバカバカしくなり辞めた途端に気持ちが楽になり今は目を合わすこともしなくなりました。やっと父親の支配から抜け出した晴れ晴れとした気持ちになりました。

自分のただ一人の父親だから許しこれからも娘として接しなければならないと勝手に自分を追い込んでいました。そんなことは必要無かったんです。血が繋がっていることで娘でいなければいけないなんて誰にも強制されるものではなく自分が誰を父親と思うのかが大切、親を他人だと思うことも選択肢にあり、逆に血の繋がりがりがない人を父親のように慕うことでもなんら構わないと考え方をかえました。

これからもまた気持ちの変化はあるかも知れませんが、もう自分に無理をするのは止めることにしました。

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相手がよっぽど謝ってきてその言葉を自然に受け入れることが出来た時にまた親子になれば良し!とすることにします。

罪を償ってもない犯罪者に気を使う必要なんて無いのに、親子って本当に厄介で犯罪者でも唯一の父親なんですよね。そんな関係者を踏みにじってるのだから、殺人くらい重い罪にするべきだど思います。

 

これからの日本が児童虐待に理解ある国に変わっていきますように・・・